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続・わたくしの宝もの79_思い出の荏原区

いろいろな町に住んできました。このコラムでも福井、奈良、大阪、船橋、浅草で出会った人、もの、ことを紹介してきました。


どの町も良いところで、思い出もたくさんあるけれど今、思い返してみると、保母学校に入学するために東京に出てきて下宿していた荏原区が特に思い出深いですね。

今の品川区の西部にあたるそうで、もう荏原区という地名はなくなってしまったようです。


大きな町ではないけれど人が温かくて、それでいて静かなところがとても印象に残っています。夜遅くなっての一人歩きも怖くなかったわ。


幼稚園に就職して、お給料を頂くようになると下宿から出て、一人立ちしました。

そこの2階に住んでいた家族のご主人が呑み助でね。朝から飲んでいるのよ。

三井だか三菱だか立派な会社にお勤めなのだけど、気付くとやっぱり飲んでいるの。


奥さんは翻弄されているし、3人いるお子さんはお父さんの酔っ払っている姿を見ているからか皆、懐いているようには見えませんでした。

びっくりしたのは、わたくしの銘仙の着物を無断で質屋に持っていかれた時のこと。

部屋で物色して飲み代にしたのでしょう、驚きのあまり声も出ませんでした。

わたくしは独身で女性の一人身だから何もできずに泣き寝入りするしかありませんでした。


せっかく大好きな荏原区の良い思い出を語ろうと思っていたのに、呑み助の話をしてしまうなんて予想外。強烈な印象だだったから出てきてしまったのかしら。


楽しい話でなくてご弁ください。





《どの土地も 住めば都と 人のいう》



H31.3.11号より


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