続・わたくしの宝もの 49_父・島ノ助
そういえば父のはなしを詳しくしたことがなかったですね。
今回は父・島ノ助のことを紹介します。
金沢出身で、宮大工の息子です。がっちりとした体つきで、兵役では山砲兵だったと聞きました。
父の父、わたくしから見れば祖父に会ったことはないけれど、
宮大工らしい格式ある人物だったようです。
高等小学校を出た父は、福井駅前の大きな駅弁屋・番匠へ奉公に出されました。
末っ子だか次男だかで宮大工は継げないから外に出されてしまうわけ。当時の事情だから仕方ないわね。
父は一人前の料理人となるべく、みっちりと仕込まれました。
しっかりしていて、いたく評判が良かったそうよ。
そんな働きぶりが評価されてそこの一人娘を紹介されたのです。
それがわたくしの母・小(こ)ゆうでした。
二人は結婚式の日に初めて顔を合わせたと聞きました。
昔はね、結婚するまで一度も会わなかったのよ。今の人には信じられないでしょうけれど。
番匠小町と言われていた美人の母を一目見て、父はどう思ったんでしょうね。
聞いておけば良かったわ。
結婚し、独立してからは「吉野屋」という屋号が入った法被を着て毎日、腕をふるっていました。とっても子煩悩で、一緒にお風呂に入ったり、チャンバラごっこをやったり。
以前お話ししたけれど、わたくしが小学校時分、パンが食べたくてわざとお弁当を忘れた時、漆塗りの重箱にお弁当を詰めて駆け付けてくれたこともありました。
兵隊に行ったはなしもよくしてくれて、きょうだい皆から人気がありました。
皆、父のことが大好きでした。
夫婦仲は良かったかって?だって2人の間には7人も子どもがいるのよ。
そういうことなんじゃないかしら。
《酸いも甘いも 汗しみ込んだ 法被に合掌》

わたくしのかわいい相棒です。
くじけず起き上がる。
それがわたくしの身上です。
H29.11.13号より