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続・わたくしの宝もの 62_女学校のこと


わたくしが通ったのは実科高等女学校。

普通の女学校に比べて、

実用的な科目が多い学校だったのでお裁縫やお料理なども教わりました。

お裁縫の授業では、日本刺繍で半襟を作ったり、フランス刺繍で手提げ袋を作ったり。

日本刺繍とフランス刺繍は糸も針も違います。日本刺繍は糸をよるのよ。

手を重ねて、上下にすり合わせてね。

「道行(みちゆき)」という着物用のコートも手縫いしました。

襟の部分が四角く開いているのだけれど、そこの角部分を作るのが難しくてね。

くっきりと角になっていないとかっこ悪いのよ。

同じコートでもへちま襟なら簡単です。

安価な織物「銘仙」を使った雨用コートも作りました。前衣の下のほうに片方だけポケットをつけました。

お料理の授業は確か、時間外だったと思います。気楽なおかずをいろいろと作りました。

産物のサバをさばいてみたり。試食にもじっくり取り組みました。

ほかにも、編み物の授業で妹や弟のセーターを作ってやったり、そろばんも簿記、お習字の時間もありました。それから、お花やお茶は希望者だけ募っていました。

いいお嫁さんになるように修行するための学校だから、盲学校の校長先生によるマッサージの授業もありました。

今では本当に大変なことをしてしまったと思っているのだけれど、

集団心理もあって若かったからつい、調子に乗ってしまったのね。

先生の脇の下や足の裏をくすぐるいたずらを度々、繰り返したのです。

年の頃は50を過ぎた男性で、しかも校長先生でいらしゃる方。目が不自由なことは承知していながら、大変失礼なふるまいをしてしまいました。

1日6~7時間授業ってところかしら。だから帰りはいつも5時頃だったと思います。

それを週6日。ひと通り、お勉強をしました。

値打ちのあった学生時代だったと思います。

《人生は 色とりどりの 刺繍糸》

まだまだ張り切っていきましょう

H30.5.21号より


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